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“広告英語”の現在
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マンスリー広告批評(00.3月)
戦後の米国文化の洗礼を受けた日本にとって、「英語」なるものの存在が常にポジティブかつスマートな印象を与え続けてきたことは論を待たない。だからこその“広告英語”であることは私も百も承知だ。しかし、いくら何でももう辛いというのが昨今の印象である。
“広告英語”とは、「広告制作の過程で日本人にしか分からない感覚で組み立てられ、日本人にのみ好印象を与えることを目的とした誤った英語」のことであ り、私が日頃、否定的に口にしている言葉だ。ここで広告制作者にとって重要なのは、「誤った英語ではあるが、日本人には理解しやすく効果 的」という点だ。確かにかつてはそうであった。しかし、英語が世界共通 語化している現状にあっては、広告制作者の英語感覚が時代とズレているとしか言えない状況を呈している。
“I’M NOT BOY”。このキャッチフレーズの恥かしさは何だ。もちろん、ここで“BOY”はあるブランド名と深く関わっており、この英文に“A”を入れることが日本 人にとって微妙な感覚の違いを生むことは分かる。「I’M NOT  A BOY」とした時点で、英語としては正しくなるが、広告上では“私は少年ではない”と“この商品はボーイではない”というダブルミーニングの感覚が薄れて しまうのだ。ここで言う“BOY”は、日本人に対する表現の核を成しているのである。恐らくは大手広告代理店の優秀なコピーライターの方が考えられたので あろうから、この英文が英文法上誤っていることは気づいているはずである。つまり、このキャッチフレーズは“広告英語”という要請の下で行われた確信犯的 表現のはずだ。しかし、そんなに制約された上で英文のキャッチフレーズを使うくらいなら、使うべきではない。このアイデアは、誤った英文を使わなければ成 立しなかった時点で捨て去るべきであった。なぜなら、これほどまでに「グローバルスタンダード」(一般 的に言われる意味で。実際はアメリカンスタンダードだが)への対応が社会的要請となりつつあり、パーソナルコンピュータの急激な浸透により、画面 上とはいえ日々正しい英語を目にし、正しい英語により指示される環境が整いつつある日本人に対して、既に“広告英語”が時代遅れだからである。そして、商 品広告を販売促進目的だけでなく、ブランドイメー ジひいては企業イメージの構築目的としてとらえるなら、“広告英語”は最早、企業にとってマイナス効果 を生む表現として考えねばならない。日本人に対するだけでなく、日本に在住する多くの英語文化圏外国人に対する影響を加味するならなおのことだ。
数年前、渋谷タワーレコードの当時の販売促進責任者が「店内ではあえて日本語英語を使っている」と述べていた。つまり、誤りを承知で日本人に分かりやすい 英語表現を使用していると明言していたのである。さて、最近の渋谷タワーレコードに行かれたことはあるだろうか? 私の知る限りでは現在の店内に日本語英 語=“広告英語”は見られない。英語で伝えるべきは、しっかりとしたセンテンスで英文法を守ってメッセージしている。宣伝部に確認したわけではないが、タ ワーレコードにおける英語の扱い方はここ数年間で変化したのだと私は思っている。企業の宣伝・販促部門の担当者の英語に対する意見で私が記憶しているのが 本件だけなので敢えて取り上げたのであるが、業界誌も“クリエイター“のインタビュー記事とか企業の提灯持ち宣伝プランを手を変え品を変え特集するだけで なく、たまには「ボーダレス時代における広告の英語表現」みたいに切り口の鮮明な特集をやってみてもらいたいものだ。
“Be You”。このキャッチフレーズはさらに理解できない。このフレーズが英文法上誤りなのはもちろんだが、日本人にとってこの表現がどこまで効果 的なのか極めて心許ないからである。クライアント名から判断して、“Be You”に「あなたらしくリラックスできる」という意味を含ませたいのは分かる。しかし、それは私がコピーライターだからである。対象者に全く伝わらない とは言わないが、なぜこれほど曖昧な意味のしかも誤った英語を使用したのか、私は理解に苦しむ。恐らく大多数には「あなたに」程度の意味でしか通 じないのではないか。 つまり、このフレーズは“広告英語”以下なのである。“広告英語”は、「日本人に分かりやすい」というただその目的のために許され てきた誤った英語のことだ。しかし、“Be You”にはそれが明確に期待できない。また、カッコよさだけを求めるなら、もっとカッコいい“広告英語”があったはずだ。まあ、私としてはそもそも「あ なたらしく」という意味の含ませ方が、流通 広告でよくやるメッセージと同じく陳腐で嫌なのだが。
“Be You”が正しい広告表現として認められる唯一の道、それはこの英語が正しい英語である場合のみであった。実はこのフレーズのように、二語あるいは三語を 組合せたフレーズに“広告英語”が最も多いのである。いや、そうしたフレーズの大半が、MakeやHaveなどのワードを略しているか、英語ではありえな い語順を用いているといってよいほどだ。「Let ’s Party」の類のそれらである。だからこそこの“Be You”が、もし正しい英語であったら、私は当事者であるコピーライターの見識に多大な敬意を表したのだが。
私自身も、かつてはこの“広告英語”を使っていた。いや、現在もあるいは知らぬ 内に誤った英語表現を使っていないとはいえない。たとえば、カタログ類でページ毎のコンセプトを英語で言い換えて左上のスペースにレイアウトすることがよ くあるが、日本の和英辞典には時折、誤りがあるし、常にネイティブのチェックを受ける手間もコストもかけられないので、誤った英語表現の可能性はあるので ある。現在のところ、少なくとも「I’M NOT A BOY」程度のセンテンスの場合、少しでも不安なら必ずネイティブのチェックを受けることにしている。しかし、基本的には自らの英語力を高めていくしかな い。これからのコピーライターに英語能力が求められることは間違いない。
しかし、日本における「英語」の扱い方はいま、確かに分岐点に来ているといえよう。私には、なぜ未だに「カー・オブ・ザ・イヤー」が認められているのか (そう言えば広告業界にもクリエイター・オブ・ザ・イヤーというのがあった。もしかして、この業界の方々は英語に対する感覚が根本的に鈍いのか)理解でき ないし、「LA VITA E  BELLA」というイタリア映画を邦題にする際になぜ「ライフ・イズ・ビューティフル」と定冠詞を省くのか理解できない。そして、こんな低レベルの誤り を放置しておきながら、かつて「ブイエス」と発音していたVSをなぜ「バーサス」と英語読みぽく発音するようになったか理解できない。さらに言うなら、な ぜわざわざ「ブイエス」と発音して市民権を得ていた日本語英語を「バーサス」に変えたのに、その発音を「ヴァーサス」と原語に近く発音しないのか理解でき ない。そこまで変えるならちゃんと発音してみろ! と言いたいのである。なんたる貧困で哀れな言語感覚、これがプロのアナウンサーなのだ。
そもそも、外国映画を自国向けのタイトルに訳す際に、さらに他国の言語を使用する国家が日本以外にあるのだろうか? “広告英語”は、日本語の崩壊もしく は、日本人の日本文化に対する意識の軽薄化と切り離せないと私は思っているが、それを論ずるのはまた次の機会としておく。
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