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CMキャラクターという架空

マンスリー広告批評〈04.4月〉

 社会保険庁の「国民年金」のテレビCMがオンエアの段階から物議を醸し、さらにCMに登場した江角マキ子氏の国民年金未加入問題が露見するに至って、久 しぶりに広告ネタが国民的な話題になった(民主党の管代表の江角マキ子参考人招致要求は明らかな無駄だったが)。本欄の趣旨から、私はこのCMのクリエイ ティブの視点から見た是非(国民への説明責任を果たす前に居丈高な訴求を行ったのは広告アプローチとして正しかったか等)を問題にするものではない。きわ めて業界誌的なそのようなテーマについては、CM制作に長けた数多くの一流クリエイターの皆様方がなさればよいことである。

広告だけに許される構造

 ここで私達、広告を制作する側がいま一度考えるべきは“国民年金加入促進のテレビCMに国民年金未加入のタレントを出演させてしまった広告制作側の意識 ”である。私はそこに、広告という社会的存在が持つある特殊な構造を見る。それは、例えば“日本酒が飲めないタレントが日本酒のCMに出演しても何も咎め られない”という明らかな事実なのだ。私達は「億を稼ぐタレントが、そんな安物を買うだろうか」とか「あんなにおいしそうに冷凍食品を食べているけど、家 の冷蔵庫にあの冷凍食品は本当にあるのだろうか」、あるいは「あの人、本当にあの洗剤でお風呂掃除したことあるの?」なんて疑問を殆ど想起しない。つまり 私達は、広告に登場するキャラクターがあくまで広告の世界だけの役割を演じる存在だと理解して観ているのだ。その意味で、キャラクターを通して見た場合の 広告は“架空の文化”である事を社会的に認知された存在とも言えるのである。
 さて、以上のような文脈で言えば、国民年金に加入していないタレントが国民年金の支払いを訴えても問題はないことになる。実は、その特殊な構造こそが今 回の失態につながったと想像されるのだが、この事件をそうした広告制作の側から論じた報道は一切なかった。やり玉に上がったのは何故か江角マキ子氏本人と 社会保険庁だけである(もちろんニュース価値で選ばれたのだろうが)。しかし、広告を制作する側は、果たして今回の事件を傍観してよいのだろうか? 

架空の文化への甘え

 タレントを起用する時、広告業界が重視するのは、そのタレントのイメージが広告する商品・サービスにふさわしいか否かという点と、そのタレントが競合商 品の広告に出ているか否かの2点である。それはもちろん、広告のアピール力を守るためには重要な点だ。タレントのイメージが広告する商品・サービスに合っ ていなければメッセージは届かないし、ある化粧品の広告に出演しているタレントがライバル社の化粧品に同じように出演するような事態が生じたら、もちろん 信憑性は失われる。
 さて、そこで今回の国民年金のテレビCMだ。私はそこに“架空の文化”である事への甘えを感じざるをえない。江角マキ子氏は、CMタレントとしての保身 を第一の目的に記者会見で今回の事件の顛末を説明した。「確定申告で控除されていたから加入していると思った」などという言い訳をそのまま受け取るマスメ ディアもマスメディアだが、私が「今日の気になる言葉123」で再三批判しているように、日本のマスメディアに的確な批判能力がないのは何も今回に始まっ た事ではない。国民年金の控除を取り扱う場合、税理士は必ず本人に支払いの有無を確認する。したがって、本人が「加入し支払っている」と言わない以上、税 理士は国民年金の加入・未加入を判断できないし、万が一、税理士が勝手に控除するような事があれば、誰でもない本人こそがその不正に気づくはずなのであ る。したがって、あの記者会見での江角マキ子氏の説明はあまりにも浅はかで拙い嘘に過ぎない。もちろん「事務所側内部の事務的なミス」という公式の説明は さらに要領を得ない。結局、本人にあんなイメージダウンのお芝居をさせるしか術がなかったという経緯が次の事を示している。「江角マキ子が国民年金に加入 しているかどうか」など誰も気にしなかったのである(確信犯であったとするなら、広告業界のモラルが問われる問題でさらに深刻だ)。
 しかし想像してみてほしい。一般的な常識では、人がある事柄を主張する場合、その主張は終始一貫していなければ信用されない。卒業証書をもらった記憶が なければアメリカの大学を卒業したとは言わないし、地雷撲滅を訴える者は決して戦争を支持しないはずだ。しかし前述のように、広告におけるキャラクターは その常識からは除外されているのである。そこに“架空の文化” である事への甘えが生じたのではないか。 江角マキ子氏がCMキャラクターであるかどうかは別として、それぞれの職業に従って決められた年金に加入するのは国民に定められたものである。したがっ て、CM制作時の関係者で自らが国民年金に加入していなかった者は当然、(社会保険庁に言われなくても)罪悪感を抱いていたはずだし、そうした素直な感情 から江角マキ子氏の国民保険加入・未加入の疑問が生じてこなかったのが本当に不思議である。つまり、そこまで広告関係者は“日本酒が飲めないタレントが日 本酒のCMに出演しても何も咎められない”という、CMキャラクターにだけに通用する“架空の文化”に毒されていたのである。この点を、関係者は猛省すべ きである。

社会的メッセージとしての広告

 さらに言いたいのは、今回のCMが、私が再三、本欄で述べている社会的メッセージであったという点である。広告も文化であり、社会的な存在だ。したがっ て、(販売促進を目的としたメッセージではなく)ある種の社会的な価値観や意見をメッセージする場合は、一般的な言論文化などと比較したうえでその品質を 見るべきなのだ。「そんなの発表する以前の常識だ」と言われてしまうような内容や、コミュニケーションの組立が(限度以下に)稚拙な広告、あるいは社会的 に見て矛盾があるメッセージに、「広告ですから」という言い訳は全く説得力がない。したがって、言論人が自らの生き方と矛盾するメッセージを送らない(送 れば当然非難されよう)のと同じように、「国民年金に入りなさい」というメッセージを送る社会保険庁(及び関係者に)に、少なくとも形式上は(精神的な価 値観まで変えろとは言えない)国民年金との矛盾があってはならなかったと私は考える。その点では社会保険庁にも責任の一端は当然あるのだが、年金からの流 用や無駄遣いがお得意のこの部署のこと、配慮すべき点に配慮できなかったとしても一向に驚かない。自ら調べれば江角マキ子氏の加入・未加入をすぐ確認でき るとしてもだ。
 しかし、芸能プロダクションはともかく(と言っておく)、仮にもCMキャラクター選択のプロである広告代理店のキャスティング部門が全く意識できなかっ たのには驚くほかない。素直に信じられない。私はもちろん国民年金に加入している(写真)。未納期間もない。だからこそ、この文章が書けるのである。
 なぜ、国民年金の加入・未加入を確認することなくキャスティングしたのだろう。そして、なぜマスメディアは、広告及び広告を制作する側を批判するのでな く、江角マキ子氏という一個人に焦点を当てたまま報道しようとしたのだろう。「どうせ広告(業界)だから」という見方がもしそれらの根底に潜んでいるのな ら、私達、広告を制作する側は今回の事件を“CMキャラクター”という視点から、いま一度真剣に考えるべきであると思う。 (2004.4.16)

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