ひさびさ、コピーの物真似
1993年に始められた「その先の日本へ」をキャッチフレーズとするJR東日本のキャンペーン以来、「その先の」というフレーズが数多くの広告で未来を表す表現に用いられてきた。「その先の暮らしへ」などという用法である。
広告の疑似表現については過去に本欄でも取り上げたが、最近、久々にある広告のコピーが他の広告に影響を与えた事例を見ることができた。これは「その先の日本へ」以来の出来事である。
その影響を与えたコピーとはauの携帯電話「さ、世代コータイ」なるキャッチフレーズだ。「さ、」という呼びかけは、私が記憶する限りこの広告以前にはなく、呼びかけと言えば「さぁ(さあ)、」に決まっていた。例えば「さぁ、未来のステージへ」という用法だ。日本語そのものの歴史を辿ることはいまの私の能力を超えるが、「ささ、」という呼びかけは時折、時代劇で聞いても「さ、」が何かを呼びかける意味合いで書き言葉に用いられた事例は知らない。
「新明解国語辞典(第三版)」によれば「(新たな事態に出会ってなんらかの対応を迫られた時や積極的に行動を起こそうとする時などに)他人や自分に言って聞かせるつもりで発する語」つまり「感動詞」として用いられる言葉は、あくまで「さあ」である。おそらく漫画(コミック)文化の範疇では使われていると想像するのだが、松本大洋・池谷理香子の諸作品と浦沢直樹「二十世紀少年」以外は読まない私の貧しい漫画(コミック)体験では自信を持って語ることはできない。感動詞「さ、」の用法について情報をお持ちの方はぜひメールを頂戴したい。
さ、コピーもリユース さて、広告における「さ、」である。「さ、世代コータイ」は、携帯電話という商品の置かれた時代の空気を見事に表現したキャッチフレーズで、大好きだった。「ケータイ」と「コータイ」の微妙な韻も心地よい。この広告の登場後、初めて目にした「さ、」が、ユンケルの「さ、カラダも リフォーム。」である。これは、コピーライターが他のコピーライターのコピーを真似するという行為が10年ぶりに生まれた、と言ってよいくらいの広告であった。同じコピーライターが異なるクライアントに似通った表現を使用する可能性は極めて低いから、「さ、世代コータイ」と「さ、カラダも リフォーム」の2つは違うコピーライターのキャッチフレーズであると推測される。もちろんこれにも単なる偶然という可能性は残るのだが、auの広告が全国規模のキャンペーンであったことを加味すればその割合はかなり低いと見るのが普通だ。
「さぁ、」から感じるゆるりとした時間感覚から、「さ、」の追い立てられるような感覚へ。広告は正に時代の空気を映す存在だが、実はユンケルの広告の後、「さ、」の使用を私は広告で見つけていない。私の理屈からすれば第2、第3の「さ、」が出てこなければならないのだが、果たしてその見方は正しいか。しばらく「さ、」が“リユース”される行方を見守っていたい。それにしても世は(ニセ札含め)“複製文化”花盛りだが、広告は見習ってほしくはない。
(2005.2. 18)