「じぶんの一票が、誰かを幸福にする。」3月下旬に露出された(財)明るい選挙推進委員会の中吊り広告のキャッチフレーズだ。 この、格調の高いトーンで書かれたコピーの質は水準以上であると思う。したがって私は、このコピーの表現力に注文を付けているのではない(私は公 には二流のコピーライターである)。しかし、広告とは社会的な存在である。本広告に書かれたコピーは、いま政治がどのように人々の間で語られてい るかという視点を見逃してはいないか、という点で疑問だったのだ。この、あっけらかんと政治及び政治家を持ち上げたメッセージは、政治に関する 一つの社会的な文章として、欠陥があると言わざるを得ない。
いま「政治家」という職業に対する理解は、小学生にだって「嘘つきが上手」と言われ兼ねない状況を呈している。 私が常に憂えている“小泉人気”ですら、結局のところ「代わる人間がいない」という消極的な理由(誤解と無責任の産物ではあるが)に支 えられているに過ぎない。こうした状況下で、手放しで政治家を讃えるコピーを堂々と言い放ったコピーライター及びスポンサーである (財) 明るい選挙推進委員会は、一体何をどう考えたのか。
広告が政治を褒める愚
政治のことを「みんなでささえあい、助けあい、いっしょに幸福になるためにある」と言っているが、 ではなぜJR西日本の脱線事故で与党は何もしなかったのか? 北川国土交通相の「私も現場に行かせていただきます」という言い草は、 明らかに「政治に責任はない」という逃げ口上にしか聞こえない。いまなお、本事故に関する政府の側からの監督責任に関するメッセ ージを聞かない。このような薄情な政治の対応は決して「みんなでささえあい、助けあい、いっしょに幸福になるためにある」と正反対のものである。 「じぶんが投票した人」=政治家が「みんなのために何かをしてくれる」と言っている。だから冒頭のキ ャッチフレーズへと行き着くのであるが、「みんなのため」ではなく「自分のため」に政治活動を行った政治家について、本広告のコ ンセプトは無視していると思わざるを得ない。
もちろんこれは(耳ざわりのよいコトバを並べなければならない)広告の話だ。ただし、商品の広告なら効果効能は科学的に証明されなけれ ばならないが、政治の広告にはそれすらも必要ない。だから政治の広告は難しいのだ。また、だからこそそのスタンスには注意を払わねばな らない。もちろん、政治が「人を救ったり、守ったりしている」かどうかについての判断は、多分にイデオロギーに左右されるものである点は 承知している。私がそうではない、と言ったところで、熱心な政党支持者や某宗教法人の信者なら、「政治は人を救ったり、守ったりしている。 その通り!」と言っておかしくはないのだ。しかし、である。
広告は有権者の視点を意識すべき
ここにある一冊の教科書「新しい社会(6年下)」(東京書籍)の12ページでは、「わたしたちの願いを実現するために、 議員さんだけでなく、多くの人たちが努力しているんだね。」という子供の言葉を出しつつ、「最近の選挙では、投票する権利を捨てている人が増えて 問題になっています」と記載し、やはり子供の言葉として「どうして選挙に行かない人が増えたんだろう」という視点がしっかりと記されている。 つまり本広告は、小学生でさえ疑問を持つ「どうして選挙に行かない人が増えたんだろう」という視点を根幹から欠落させ、先のイデオロギーの話で 言えば、明らかに与党寄りのスタンスでメッセージしていると言わざるを得ない。
仮に政治が「人を救ったり、守ったりしている」としても、それではなぜ有権者はそのために一票を投じなくなったのか? 本広告冒頭では「政治ってなんだかピンとこなかった。じぶんは関係ないと思ってた。だけどこのごろ、わかってきたんだ。家族のためにがんばる人を、 手助けする制度がある。安心して働くために、たいせつな法律がある。」と語られている。この見方は確かに一つのイデオロギーから見れば正しい。 しかし、それならばなぜ日本は中高年の自殺者が先進国中でずば抜けて多いのか。こうした状況は、政治が決して「人を救ったり、守ったりしている」 とは思えない人を増やし、選挙に行かない人を増加させているという可能性を否定できない現状を生みだしている。本広告は、少なくともそうした可能 性に言及しないどころか、全く無視して作成されているのである。 あるいは、政治に無関心な層に「家族のためにがんばる人を、手助けする制度がある。安心して働くために、たいせつな法律がある。」ことを啓蒙しようと したのか?
しかし、いまや政治は、20歳で自国の首相の名前もフルネームで言えない人間にだって「政治家は自分のことしか考えていない」程度は言われて仕方ない ポジションにある。そうした現実をも本広告は全く無視している。 街頭インタビューで、民主党に関する質問をしたとする。多くはしたり顔で「自民党と似たりよったり」と言うだろう。しかし、そのように安直な層こそが、 先の衆院選でイラク派遣反対を宣言した民主党ではなく、自民党を勝たせ自衛隊のイラク派遣を許したのである(その後、アンケートで『反対です』なんて言 っても仕方がない。それこそが“一票の力”の大切さなのだ!)。したがって、いま(財)明るい選挙推進委員会は、まず政治に真に注目させることが第一歩 の責務であるはずなのだ。いかなるイデオロギーに立つ人であろうと、まず政治に関心を向けさせる。それは、決して政治を着飾るこのような広告からは生 まれない。
「どうして選挙に行かない人が増えたんだろう」。小学校6年生の社会の教科書に載っていたこの言葉の方が、この場合、遙かに力のあるキャッチフレーズ だったかもしれない。
いま日本の政治とは、広告とは
政党はもちろん、選挙に関わる広報(広告宣伝)が通常の企業広報と比べて特殊な世界であることは推察できる。しかし、 政治を扱った多くの広告があまりにも非現実的な有権者や政党を前提として作り過ぎている。
日本の政治、そして政治思想は、この小泉純一郎という政治家が首相をしていた時代にまた明らかなる変化を見せた。それは、多少のミスや不条理を 見逃してまでも首相を支持する有権者の政治意識の希薄化・衰退に代表される。つまり、国政の重要な判断よりも、ワインを好むロマンスグレーの小泉 純一郎という政治家のイメージを重視するという奇怪な意識だ。あるいは有権者アンケートでは首相を批判しておいて、選挙では自民党に投票する歪ん だ有権者意識に顕著である。さらに厄介なのは、そうした状況が与党に組み込まれたあの創価学会という宗教団体を母体とする政党によって生み出され ているという怖ろしい予測が可能であるという点だ。だからこそ、国民の間に無力感が広がり投票率が下がっているのかもしれないと考えるのは私だけ であろうか。 しかしこのような政治論は本コラムの本筋から外れる。ただ私が言いたいのは、そうした低レベルでありながら複雑に歪んだ日本の有権者の実情を真剣に考 えた広告が殆ど見られないという寒々しい状況なのである。もちろん広告とは、悪い面は言わずによい面だけを言うことが堂々と許された文化である。 しかし、だからと言って有権者のマインドを無視していいはずはない。そして、一度政治について語り出したからには、広告も社会的存在として別の視点 が求められてしかるべきなのである。 改めて言うが政治は特殊な世界だ。特に政党広告は、当選者という明確な広告効果で評価される厳しい世界でもある。そこで、一方的に提示された方向性 にもし逆らえないのだとしたら、それはそれで私も理解できなくはないが、弁解ができないのもまた当然の話である。
(2005.6. 3)
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