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広告クリエイターのコミュニケーション能力(1)
〜メールの功罪編〜
マンスリー広告批評(08.3月)
冒頭から古い話題になってしまって恐縮だが、「宣伝会議」(2006.9.1号)の700号記念企画「未来の広告人へ」の中のシャープ(株)ブランド戦略推進本部長兼宣伝部長(当時)・北田秀人氏の次の一文がいまも印象に残っている。

「広告を仕事にしているアドマンなら、日頃の生活も、コミュニケーションのプロであれ。メールで、身勝手なプレゼンで、こ難しい資料で、気持ちの通うコミュニケーションができているなど、夢々思わないように。」

ここで私が気になったのは「メールで、」の箇所である。「身勝手なプレゼンで、こ難しい資料で」の部分に込められた意味にも少なからず興味はあるが、水準 や状況により様々な見方ができる領域であり、その全てに精通している訳でもない私が言及できるものではない。 そこで、「メールで、」である。いま、皆さまは通信手段として電話とメールのどちらをより多く使われていらっしゃるだろうか。恐らくビジネスでも(女子高 生の私生活と同じように)メールが最も幅を利かせているのではないだろうか。
実はかく言う私も同様である。ただ、北田氏の意図を推し量るならば、「常にメールで気持ちの通うコミュニケーションができているなどと思ってもらっては困 る」ということではないか。私も同じくTPOをわきまえないメールの使用を問題としたいのであり、北田氏の言葉の裏にも“常にメールでコミュニケーション していればよい”と思っているか“メールによるコミュニケーションに何の違和感も覚えない”人種への警鐘を感じるのである。「広告を仕事にしているアドマ ン」という表現には、広告代理店(『広告会社』という言葉を私は使いません)の営業マンや制作者のイメージがより濃く浮かびあがるが、ここでは広く「広告業務に携わる人々」としてこのコラムを進めていきたい。

メールによるコミュニケーションの功罪

私はもちろん、北田氏もメールの利便性を否定するものではないだろう。私は(広告)ビジネスにおける利点を次のように考える。

●ビジネスにおけるメールのメリット
(1)正確性の確保。
メールに残すことにより、正確さが要求される情報(日時・価格・手順など) の誤解が発生しにくい。また証拠が残るため後で検証しやすい。

(2)時間的な自由さ。
時間を気にせず送れるため、たとえば翌朝、(出張などで)連絡を取れない 状況でも深夜にメール送信しておけば翌朝、相手に伝えられる。

(3)情報品質の高さ。
書き言葉は話し言葉に比べより整合性が高い。したがってメールで送ること で情報を過不足なく正しく伝えられる可能性がより高まる。
また、「書く」という行為を通して書き手(送り手)は自らの意見を再整理で きる。

(4)同時性の実現。
ある情報を複数の人物に伝えたい時がある。この場合、インターネット以前 であれば「○○さんにもお伝えいただけますか?」と依頼するのが普通の方 法だった。しかしこの方法には“伝え忘れ”の危険が常にある。メールソフ トの「CC」機能を使えば同時に同じ情報を複数の人物に確実に伝えられる (相手の見落としはまた別の問題)。

(5)省時間の便利さ。
たとえば、着いた荷物の報告など「電話をかけるほどのこともない」という コミュニケーションが多々ある。そうした場合に相手の自由な時間を阻害してしまう電話より、むしろメールの方が歓迎される結果になる。

   
さて、次に北田氏が「メールで、(中略)気持ちの通うコミュニケーションができているなど、夢々思わないように。」と述べた「気持ち」の部分について考え てみたい。つまり「気持ち」を伝える場面でメールはその「気持ち」を通わせることができるか、という点である。
ここでは、ビジネスにおける「気持ち」をいくつかに整理しながらメールの妥当性について分析していくが、その前にまず「メールのデメリット」についても共通感覚を持っておきたい。

●ビジネスにおけるメールのデメリット
(1)ポジティブな感情の欠落。
顔の表情や仕草、声など言語以外に生身の人間から発信される「Nonverbal=非言語的」な情報が伝えられない。また、そうした欠落する情報のなかで 特にメールにおいて深刻に影響するのが「ポジティブな感情や優しさ、明るさ、細やかな心遣いの情」を伝える手段を持たないという点なのである(『絵文字』 や『書体などの文字的装飾』という手段はあるが、これらも所詮は記号の域を出ない)。
「それは違うよ。」という文字を単に見た場合と、満面で微笑みながら例えば手を柔らかく振る非言語的な情報と同時に接触した場合とでは、受け手に与える印象において後者が遥かにフレンドリーなのは想像に難くない。

(2)“インターネットは悪意を増幅する”。
(1)の結果でもあるのだが、メールに限らず双方向のコミュニケーション手段であるブログも同じく、インターネットメディアは、ちょっとした皮肉が、ある いは否定的な物言いが、よりネガティブで強い嫌悪感を与えてしまうことがある。ポジティブな感情のニュアンスが欠落するのと同時に、ネガティブな感情は口 頭による伝達より遥かに冷徹に強烈に伝わるのである。このデメリットは、友達からのメールを苦にした小中学生の自殺にもつながっていると私は危惧する。以 下はその原因を私的に分析したものである。

◎パソコンや携帯といった四角い無機質な画面で、温かみのないこれも無機質な文字を見つめるという特殊な環境がもたらすデメリット作用。言語を補完する非言語的な情報が殆どないために生じる結果でもある。
◎「相手の顔が見えない」「書いた時点と、相手が読む時点の時差がある」というメール特有の状況は、書き手である自分と相手との間に間接的な関係を生み出 す。そのため常に先攻する立場の書き手は攻撃的(サディスティック的とまでは言わないが)な傾向を強め、人間的な配慮を欠いた方向に言葉選びを向かわせ る。自分と違う主張を持った投稿者の批判によりブログが無残にも“炎上”するケースがその顕著な例であり、メールにおけるこれまでの私の体験でもこうした 傾向を実感する。
それは、メールが人格を変える、と言ってもよいほどだ。

メールで「気持ち」は伝わるか

以上の考察の通り、メールは“人のプラスの感情”を欠落させ、“人のマイナスの感情”を増幅させる。これらの考察を踏まえたうえでビジネスにおける様々な「気持ち」の伝達について考えてみよう。

(1)確認の気持ち。
ビジネスに確認は付き物だ。金額の確認、集合時間・場所の確認、日程の確認、 進行状況の確認、何より仕事内容の確認。この中で金額・集合時間・場所、 日程など“単純に情報を正確に把握するための確認”の場面で、メールは口頭 による確認の機能を上回り、かつ記録にも残る。これはメリット(1)正確性 の確保で説明した通りである。ただ、これらに「気持ち」が付加される場合は 状況が違ってくる。
○金額の確認→金額を上げて(下げて)ほしい「気持ち」の確認
○集合時間・場所の確認→集合時間・場所を変更した(してほしい)「気持ち」 の確認
○日程の確認→日程を変更した(してほしい)「気持ち」の確認
○進行状況の確認→進行状況に対する気持ち(早めたい・ゆとりを持ちたい) の確認 
○仕事内容の確認→了解・非了解かの「気持ち」の確認(意見を聞かせてほし い)、修正点に関わる「気持ち」の確認(どこを、どう修 正したいか聞かせてほしい) 他。
※この「仕事内容の確認」は様々な状況が考えられ、深い コミュニケーションと関わるため後述したい。

以上の例のように「気持ち」が付加される際にメールを用いた場合、その 「気持ち」はいずれも不完全になる。たとえば金額の確認でも「金額を上げて (下げて)」すまないという思いや、逆にそこに含まれる好意を伝えるための 力となる“柔らかな顔の表情や気持ちを表現した仕草、声質”を伝えること ができないためだ。
→そうした場合に「メール」で伝えていたのでは「気持ち」は伝わらない。 また、もしもこうした「気持ち」を持たないとしたら、正に“コミュニケー ション能力の問題”となろう。

(2)依頼の気持ち。
何かを頼む、という時は相手に“何かしらの負担”を与えることになる。こ の負担への謝意(お礼やお詫びの気持ち)を伝える時にメールはふさわしい か、という問題がある。これは既に(1)でも触れたテーマだ。広告制作の現 場で言えば、「金曜日の14時打合せ」と決まっていたのが変更になった時、「変 更の依頼」をする訳だが、私は、メ―ルを送った後、必ず電話をする。正確 を期すためでもあるが「(時間変更の)負担をかけてすまない」という気持ち を伝えたいからである。
→そうした場合に「メール」のみで伝えていたのでは「気持ち」は伝わらな い。

(3)反論・批判の気持ち。
メールで意見を交換することがある。この場合に留意しなければならないのは “インターネットは悪意を増幅する”というネガティブ効果だ。ちょっとした皮肉が、あるいは投げかけが、嫌悪感のあるマイナスの印象を与えてしまうことが ある。したがって、相手と今後も円滑なコミュニケーションを継続したい場合は、十分な注意が求められる。
もし、反論・批判の気持ちを相手にやわらかく伝えたいと考え、心証を悪くしたくないと懸念する場合にメールがふさわしくないのは当然で、電話か直接会って口頭で伝えるのがより適切である。
→そうした場合に「メール」による反論・批判は、それ以降のコミュニケーシ ョンに大きな支障をもたらすことが予想される。

(4)疑問の気持ち。
「書く」という行為を通して書き手(送り手)は自らの意見を再整理できる。

したがって純粋に疑問を呈する場合は、「メール」を有効と考える。これも既に述べた通りだ。ただし、疑問を共有し共に解決に向けて歩むという率直な気持ちであることが必須となる。
→そうでない時、「疑問の気持ち」は「反論・物言いの気持ち」と等価になる。
そうした場合に「メール」よりも情感を相手に伝える効果のある電話を使う か、直接会って話す方が無難なのは(3)で述べた通りである。

(5)喜怒哀楽の気持ち。
“インターネットは悪意を増幅する”。したがって、喜怒哀楽の内、「怒」の感 情を伝える際は、それを醜く歪ませてさらに増幅する覚悟をしなければなら ない。この状況は、それ以降のコミュニケーションの断絶を告げているのと 同じである。メールがふさわしくないのは当然だ。
残る「喜哀楽」のなかで、「哀」をビジネスで伝えることは例外と言ってよい だろう。「喜」と「楽」はビジネスにも生じうるし、この種の感情をメールで 伝えられることはうれしい。しかし、インターネットはそもそも微妙な 感情のニュアンスを伝えるには適さない通信手段だ。うれしい気持ちや楽し い感覚は、生の声で伝えるのが一番であることは言うまでもない。
→そうした場合に「メール」で伝えることが、最大限のアピールになり得な いのは当然である。

(6)感謝・お礼の気持ち。
私もメールで簡単な感謝の意を表すことはある。ただし、お礼の重要度が少 しでも高い場合は少なくとも電話で伝える。礼状という形式があるように、 一般的に“感謝の気持ち”を書き言葉で伝えることはあるが、少なくとも日々、 仕事を行っている(意思疎通の密な)相手の場合、電話を通した肉声で伝え るか、会って伝えるべき状況は多い。つまり、気持ちを伝える通信手 段としてのメールの価値はそこまで低下していると私は判断する。また、 そもそも肉声で感謝の意を伝えるのが常識である事柄も確かに存在する。 →そうした場合に「メール」で伝えていたのでは「気持ち」は伝わらない(そ れこそ“失礼”である)。

これらの「気持ち」を、クリエイター達は十分に考えたことがあるだろうか? 
北田秀人氏の冒頭の言葉をいま一度想起しながら、メールから見たクリエイターのコミュニケーション能力について次回で述べてみたい。
(2008.3.21)
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