広告のコピーやデザインに模倣は付き物 だ。かつて仲畑貴志氏の岩田屋の広告が世に出た時「私は○○○の○○○です」というスタイルのコピーが目立ったことがある。あるいは、伊勢丹の「空想実現 百貨店」の時は、漢字だけのキャッチフレーズが数多く露出したものである。 一方で模倣としてではなく、“時代の空気”にコピーが触発されて同じような表現が作られることもある。数年前「幸せ」をキーワードにしたコピーが多数世に 出たことがあって、それについて書いた私の短文が雑誌「宣伝会議」に掲載された。当時、日本社会はバブル後遺症から抜け出せず、心の安息を日本人が求めて いた頃である。この「幸せ」以来、久々にいまある一つの言葉が広告表現上、流行している。それは「チカラ(力)」である。 アサヒビールは本年度のキャンペーンワードに「ビールの力」を採用した。今やビール単独のシェア日本一になった同社にとって、正にトップブランドの自信に あふれた見事なキーワードだと思う。これが年初に登場したものだから、昨今の「チカラ(力)」の流行には幾分かの模倣の要素が感じられないこともないのだ が、一向に低迷期を脱しない日本経済を考えると“力強い景気の波”をメッセージしたくなるではないか。また、ビジネスマン&ウーマンたちは総じて精神的に 弱っており、「癒し商品」の格好のターゲットにもされてもいる。日本(経済)も日本人も元気がないから、広告がそれに呼応して「チカラ(チカラ)」をア ピールするという構図が出来上がっているのだ。 アサヒビールの例を最初に出したが、「チカラ」を使った広告で印象的だったのは、昨年から露出されているキリンの「サプリのチカラ」。今年も同キーワード で広告展開している。食品では他に、フジッコが「元気は、豆のチカラ」による豆乳飲料の新聞広告を、ニチレイが「米は、力だ」で「こんがり焼おにぎり」の テレビCMを展開。地味ではあるが、梅丹本舗の中吊り広告「継続は力。梅肉エキスの力」など、いずれも元気をなくしている現代人へ食生活の充実を通 したメッセージを送っている。さらに、4月最終週のJR山手線車内広告では、何と次の2つの広告のキャッチフレーズが上下に並べて露出されていた。キリン ビバレッジ「午後の紅茶」の「リーフがくれる、やさしいちから。」と、森下仁丹のその名も「梅のチカラ」の「スッパイ キレイ 梅のチカラ」である。ここ までくると、最早偶然では片づけられない。 金融業界に目を転じると、大和証券は「ダイワ・ミレニアム・ポート21」の 新聞広告のキャッチフレーズに「日本力」を採用、店頭ポスターでは「バリュ ー株・オープン」の魅力を「底力」で表現。正に今後の日本を担う銘柄選定シ ステムを「力」で訴求している。また、岡三証券の「投資力という指針」は、 投資信託の各種商品をやはり「力」で表現した。 テレビ朝日は、「ターニングポイント」の番組宣伝を「力」をキーワードに展開。「心を読む力」「思いこみ力」などのキャッチフレーズにより新聞広告でア ピールした。「のぞみをささえるチカラ」で浜松工場の定期点検を紹介したのがJR東海。フィットネスクラブのプライムスクエアは「自らのチカラで、満たさ れる。水からのチカラで、癒される」をキャッチフレーズに折り込みチラシを展開。これなども、ストレスに苛まれる現代人に向けて発信されたメッセージであ ろう。 以上、年初からの全く個人的なチェックだけで、これだけの企業が「チカラ(力)※1社のみ ちから」をキーワードに広告展開している事実が明らかになっ た。これに日本エルピーガス連合会の「LOVE POWER GOOD」、三菱商事の「Finance Power」などの「POWER」の例を加えれば「チカラ(力)」の流行はさらに広範囲になる。サブフレーズや小見出しレベルの使用までチェックすれば、 某予備校をはじめさらに事例の範囲は広がる。 もちろん、「力」は広告表現の上でなくてはならない言葉であり、私だって「チカラ」や「力」をこれまで何回コピーで使ってきたか分からない。しかし、これ ら各企業のメッセージの多くが「元気のない日本」「元気のない現代人」を前提に展開されている点がこれまでとは明らかに違うのである。広告の印象度を求 め、インパクトを狙って使われてきた「チカラ(力)」という言葉が、ターゲットの元気のなさを補うという明確な意図の下で使われている。改めて言うが、そ れは、現代という時代、日本という国、日本人が疲弊し、弱まっていることを広告の制作者たちが肌で感じているからだと私は分析する。 今後さらに「チカラ(力)」という言葉は使われていくのか。あるいは、コピーライターのバランス感覚が働いてあえて使用が避けられていくのか。私自身は、 いまあまり「チカラ」や「力」は使いたくない気がする。特にヘッドラインやキャンペーンワードとしては使わないだろう。理由はもちろん、この言葉に新鮮さ が薄れているからである。言葉をつくる側の意識がどう変わっていくのかを見る上でも、今後しばらくこの「チカラ(力)」という言葉を追い続けようと思って いる。
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