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広告クリエイターのコミュニケーション能力(2)
〜人間の基本編〜

マンスリー広告批評〈09.4月〉

挨拶と返事

挨拶をする、そして返事をする。この人間の最も基本的な営みがビジネスの現場で十分にできていない。よくある「新入社員のマナー」の類でこの2つが取り上げられ、「新入社員に言いたいコト」のようなアンケートで必ず上位に位置するのがこれらである点が何よりの証拠だ。その不可思議さは、何も“広告クリエイター”と断るまでもなく、日本人のコミュニケーションの危機そのものである。しかし、少なくとも商品・サービスを発信さる側とそれを受容する側のコミュニケーションの円滑化に取り組む仕事である以上、この「挨拶と返事」をどの業界よりも大切にすべきと思うのだが、その状況は果たして芳しいものだろうか。
その前に当社の状況について述べておきたい。私は、中途採用の第二次面接時、必ず「挨拶と返事だけはちゃんとして」と言い渡す。採用時にも改めて言うが、最初からこの2つができる人材は皆無といってよい。本当に恥ずかしい話だが真実である。現にいまでもミーティング時に「挨拶ちゃんとして」「返事が聞こえない」と時折言わねばならない。
以下は、そんな当社の実情を前提にしたうえでの、私が過去に出会った制作会社の話である。


信じられぬ光景

それは初めて訪問した制作会社だった。ドアを開けるともうスタッフの方が見えるくらいの広さの会社だ(都内の制作会社の多くが同様の環境であると思う)。さて、私は「こんにちは。有限会社プレゼントと申しますが、Aさんいらっしゃいますでしょうか」と、もちろん殆んど全員に聞こえる声量で言った。目の前ではMacのキーボードを叩く広告クリエイター(グラフィックデザイナー)の姿が見える。しかし、彼らの横顔はこちらに向けられることはない(Aさんは不在だったのである)。すぐ横の打合せスペースらしき場所ではそ知らぬ顔でミーティングの真っ最中だ。再度声を張り上げると、ようやく誰かが近づいてきてミーティングが行なわれているテーブルの端に座らされた。間もなくミーティングは終わったのだが、驚くべきことにそのなかの一人が無言で資料を散らかしたままデスク上のMacを打ち続けている。もし外せない事情があるとしたら、その理由を述べ了解を得るのが客に対するマナーではないか。この制作会社にはそうした外部の人間への配慮は全くなかった。
次は何度か打合せで訪れていた制作会社での経験だが、この会社の広さも似たような状況だ。さて、私はここでも当然ながらドアを開け、「こんにちはぁ、プレゼントですけれどもぉ」という感じで何度か声を出したのだが、やはりそこの“広告クリエイター”たちは、横顔をこちらに向けることすらせず誰も反応しない。私は少々の反発を込めて出入口左手のパーティションで囲まれた席に(勝手に)座った。打合せ相手は電話中のようであった。この前後の私の行動に賛否があるのは承知のうえでお話すると、私はここでじっと無言で待ってみたのである。何者かが来た(もちろん私の顔くらいは分かっていたはずなのだが)ことは気づいているはずだから、電話が終わったら客が来ていると伝えてくれるのではないかと半ば実験を試みたのだ。しかし私が予想した状況は訪れることはなかった。そして、仕方なく仕事スペースの近くまで行き、相手に訪問を伝えた。もちろん、その方が驚いたのは言うまでもない。


コミュニケーション能力への反省

ここまでひどい経験が何度もある訳ではない。また、インターホンを鳴らすステップを踏める状況ならこうした経験は少なからず防げるのであろう。逆に、数十人のスタッフの方が、訪れた私一人のために立って挨拶をされるWEB制作会社も知っている。しかし私は、広告業界、特に制作会社の「挨拶・返事」の不徹底をよく感じることがある。来客に対しさすがにここまで理不尽な応対はしないものの、恥ずかしながら当社も似通ったレベルであるのは先に正直に申し上げた通りである。私はこうした「挨拶・返事」のレベルでのコミュニケーション能力が、前回取り上げたメールの使用法にも影響していると思うし、ひいては業務そのものに何らかのデメリットを生んでいると危惧する。
現在、「宣伝会議」や「コマーシャル・フォト」で毎号のように登場される(最近はWEBに軸足を移しつつある)某ディレクターと仕事をご一緒したことがある。ある企業のキャンペーンスローガンの仕事であったが、ディレクションは二転三転した。そして、そのディレクターからは「いつも言うことが違う。何を考えているか分からない。」というお決まりのクライアント批判を聞かされていた。
その後、(これでは致し方ないと)スタッフ全員でクライアントに出向く機会があって私も同行したのだが、そこで私はこれまで全く認識していなかった(正しくは伝えられていなかった)意向を察知したのである。その時私は、「果たしてこれまで、しっかりと相手の意向を確認していたのだろうか」という疑問を感じた。
ここで私が何を言いたいかというと、その際の混乱の原因がやはりクライアント側にあったとしても、クリエイターは自らのコミュニケーション能力を常に疑うべきだという点だ。「言ってることが分からない」「昨日と今日で言うことが違う」「こんな感じ、しか言ってくれない」などと我々はクライアントを批判するし、私もなかったとは言わない。実際、人間性に本当に欠けた人間はどこにも存在するのだが、コミュニケーションの障害の原因を相手にだけ押し付けるのは何の意味もない。常にわが身を振り返って検証する努力が求められてしかるべきなのである。そしてそれが他ならぬ、「相手の気持ちを考える」というコミュニケーションの基本なのだと思う。それを行なわないのは、挨拶・返事をしないことが相手にどんな影響を与え、コミュニケーション上どんな不都合があるか、考えてみないのと同様である。

相手の気持ちを考えるということ

広告クリエイターの誰もが愛想よく、ジョークが上手で、人を飽きさせない、なんてことはもちろんあり得ない。現に私などその正反対の人間だ(だから私は優秀な営業マンをずっと尊敬し続けてきた)。しかし、コミュニケーション能力、少なくとも広告という仕事を円滑にするコミュニケーション能力は、そうした社交性を根源とするものではない(あればなお円滑かもしれないが)。私が「挨拶・返事」を大切にしているのは、別にマナーを重視しているからではない。「挨拶・返事」ができない人間が「相手の気持ちを考える」ことができる訳がないし、ターゲットの心を捉えるキャッチフレーズを作れる訳がないからである。「挨拶・返事」にことさら焦点を当てねばならぬ貧しさは百も承知だが、これが現実だから致し方ない。
前回の「広告クリエイターのコミュニケーション能力(1)」で取り上げたシャープ(株)ブランド戦略推進本部長兼宣伝部長(当時)・北田秀人氏の「広告を仕事にしているアドマンなら、日頃の生活も、コミュニケーションのプロであれ」という一言は、そうした普段の意思疎通の欠点を衝いているのだと、私は確信する。

そして自らのコミュニケーション能力について、私は今日も反省を繰り返しているのである。
(2009.4.3)

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