「風娘。」
本日のベルリンマラソン中継で三宅アナはゴール前、高橋尚子選手を「風娘(かぜっこ)」から「風の神」へと表現していったが、あまりに陳腐。「風娘」とは彼女が主人公の漫画らしいが、それでも民放のスポーツ実況は自己陶酔激しく“似非古舘”に成り下がっている。
●No.225/01.9.30
※先日の本文に対し「実況は漫画『風娘』からの引用である」との指摘ありがとうございました。
「自衛隊や軍隊
に対する考え
方は最近、
おかくしくは
ないか。」
朝日新聞本日朝刊に後藤田正晴氏の談話。「自衛隊の基本(専守防衛の武力行使)に立ち返れば、できることに限界があるのは当然のこと。」防衛のみならず小泉首相の言動は特に選挙後、全てに渡って奇異である。国民の皆さん、首相支持率はなぜ上がっているのですか?
●No.224/01.9.26
「大胆に
柔軟に。」
朝日新聞本日夕刊に小泉首相のワシントンでの記者会見。首相が金科玉条の如く口にするこの言葉に私は硬直した印象を持つ。確固たる景気対策=不良債権処理策の道筋が見えぬのになぜ支持率が上がったのか解せない。自衛隊による貢献も何の迷いもなく決めていいのか。
●No.223/01.9.25
「戦慄、衝撃、
感動。」
本日見たビッグコミックスピリッツの駅貼ポスターのキャッチフレーズ。前回KIグランプリの中吊り広告も漢字熟語のオンパレードだった。強い言葉を単純に並べ立てるキャッチ形式は以前は見られなかった。これより強さを求めたら造語しかない。言葉はインフレする。
●No.222/01.9.24
「TERRORIST
ATTACK。」
今日、鎌倉・長谷寺で米国テロ被害者を追悼する英文の絵馬を見た。社会が速やかにHealされることを望んでいた。最後に願いがGOD
OF CATHOLICへ向けられていたのには苦笑したが、古都で見つけたTERRORISTの文字に改めて罪の奥深さを思った。
●No.221/01.9.23
「起こり得ない
ことが
起こる。」
武部農相は本日、欧州産以外の牛で初の狂牛病確認を受け「起こり得ないことが起こる」と発言した。政治家の舌禍には驚かぬが「起こるべくして起きた」事件にこの言い草は明らかに国民をなめている。だが、この言葉をまたも鈍感に見逃したマスコミにはWで失望した。
●No.220/01.9.22
「Gamble。」
ニュージーランド人の英会話講師とRecession(景気停滞)について語る。「1930年代、広告費を上げた1割の企業のみが売上増を実現した。それはギャンブルだった」と彼。広告費は来年にかけて恐らく減額され続けるだろう。不良債権処理の強化やいかに。
●No.219/01.9.21
「豆顔。」
本日発売のノンノは「『豆顔』実現ゼミナール」と題したメイク特集を組む。小顔は飽きたから「豆顔」という発想は、激安には慣れたから爆安という安易さに似る。「新・小顔」の方がよほど分かりやすい。この「豆顔」なる言葉は、ネーミングでは通用しないレベルだ。
●No.218/01.9.20
「親が
子供にどんな
言葉を
かければ
よいか。」
を米国赤十字社のホームページが紹介。と朝日新聞本日夕刊。「自分が責任をとれないのに“決して”や“いつも”などの言葉を使わないでください」など内容はデリケート。大人もまたテロに傷ついている。対して日本のテレビはなぜ「いつ戦争?」とすぐ浮かれるのか。
●No.217/01.9.19
「事務方。」
なる言葉が度々田中外務大臣から発せられるが、ほぼ外務省と同義のようだ。そもそも外務省の仕事を「事務」と限定するのが誤りという気がするが、「方」は範囲を定める言葉で、一定の距離感を感じるし「そちらの責任でしょ」という疎外感も含まれているように思う。
●No.216/01.9.17
「早とちり。」
農水省が狂牛病の疑いある牛を肉骨粉にし飼料として出荷していた事件で、本日の日本経済新聞朝刊は、副大臣の釈明中に発言された「早とちり」なる言葉を批判。どうにも幼稚すぎて言葉もない。政治家そして外務省、さらに省庁全体の仕事にも不信を抱かざるをえない。
●No.215/01.9.16
「私の全てが
ここに
ある。」
「小泉純一郎写真集」のキャッチフレーズである。表現自体はよく使われ汎用性のある普通の言い回しだが、「私」が一国の総理となると、どうなのだろう。一冊の写真集で全てを伝えられる程度の器と言ってしまってよいのか。制作者の側は、想像力に欠けてはいまいか。
●No.214/01.9.11
「鈴木聖美さん
といえば、
歌ですよ
ね。」
今夜のチノパンで千野志麻アナはゲストの歌手・鈴木聖美に対してこう言った。歌手である鈴木に対する言葉ではない。例えば「ラブバラードですよね」と、より本人に迫って表現すべきであったが、アナウンサーとしてでなく人間としての意志疎通能力に欠ける人である。
●No.213/01.9.10
「楽しく取ろう
とした。」
初日黒星の魁皇の弁。昨今のスポーツ選手は煩雑に「楽しみたい」を使うが、力士が使うと何か変だ。ボクシング等、格闘技系の選手が言うのはまだ聞いたことがないし、果たして大相撲とは楽しんで勝つことができる類の競技なのだろうか。無闇に使われ過ぎる気がする。
●No.212/01.9.9
「登校。」
朝日新聞本日夕刊は「不登校の追跡調査」に言及して「登校」が登庁・登院等と同じく学校を絶対視する性向を含むと書く。趣旨自体は分かる。だが、その考え方は“より易しく”の色彩濃く子供にへつらった新学習指導要領の理念と同根のような気がして私は支持しない。
●No.211/01.9.8
「キモと、
みそ。」
SEDA10月号は「ブルゾンはブランドがキモ」なる特集を組む。ブレーン10月号では「今回の企画の一番のみそはここにあります」の一文。肝と味噌ではなく、あくまで「キモと、みそ」。時代がひと回りして、以前にも増して目にする機会が増えてきた二語である。
●No.210/01.9.7
「算数嫌い。」
昨日発売のサンデー毎日は“算数嫌い”をなくすために「煩雑な計算作業は電卓に任せ、その分、算数の基礎をじっくり教える」という新指導要領の考え方を批判。“嫌い”の根元は我慢できない子供達の性根にあると思う。寒気さえ覚えるほどのこの国の教育行政である。
●No.209/01.9.4
「傘がもっと
人の一部で
ある
ために。」
ALL 500円、なるコピーを本日、JR東京駅丸の内地下中央口改札前の店舗で発見。洒落でやった確信犯か、本気で書いたコピーか、店頭の手書きPOPだけに判断が難しいが、販促効果自体は疑問。街角の広告にこんなフレーズを見つけるのも一つの楽しみではある。
●No.208/01.9.3
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