「オブ・ ザ ・
イ ヤー。」
田島寧子ちゃんが「ザ・ベスト・スマイル・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた(29日/朝日新聞)のはいいが、もう
THE YEARのTHを「ザ」と発音するのはよそうよ。ある表彰式で、英語と日本語をわざと別に発音していた時は恥かしかった。さて、どの賞が最初に「ジ」を使うか?
●No.18/00.11.30

「20世紀
最 後。」
年末にかけて、この言葉がマスコミを賑わすに違いない。「20世紀最後」となる出来事を為すのに、これほど都合のいい時はない。それこそ20世紀最後のチャンスなのだ。ちなみに、今朝の「はなまるマーケット」では“20世紀最後のお歳暮”という言葉が飛び交っていた。
●No.17/00.11.29
「みんな
不幸
ば かり数 え
たがる。」
サンデー毎日(12.10号)でも語っていた美輪明宏の持論、「正負の法則」。「楽あれば苦ありが人生なのだから、心配事や不満を数えずに感謝することを探しなさい」と美輪は言う。そんな風に考えると落ち込まない。そんな風に臨めば積極的になれる。経営の極意でもある。
●No.16/00.11.28
「ハイ
タッチ 。」
昨日のジャパンカップTV中継で上位3頭がゴールした瞬間、3着のデットーリ騎手が手を差し伸べて和田騎手を祝福した。実況は「ハイタッチ」と表したが、あれは普通「握手」と言う。話術がステレオタイプ化しているのだ。アナウンサーの表現能力の枯渇が最近著しい。
●No.15/00.11.27
「俗な
マジョ
リティ。」
今日の「おしゃれカンケイ」で及川光博がゲストの美輪明宏に出した手紙の中の言葉。異端のレベルでは美輪に及ばぬ
ものの、この一言の中に時に“色物”と蔑まれた及川の反骨心が感じられた。大多数の貧しい精神構造こそ、この国を傾かせている元凶であると私も思う。
●No.14/00.11.26
「鼻は
低ければ
低いほど
いい。」
24日の日本経済新聞「交遊抄」で紹介されていた家電のコジマの小島勝平社長の言葉。改めてコジマの広告にある太陽のマークを見ると、そこには鼻らしきものすらない。人に接する姿勢、常に心がけたいと思う。また、そんな風に接する方と、おつきあいをしたいと思う。
●No.13/00.11.25
「万引きは
犯罪
です。」
「万引きは犯罪です。愛する人(親・恋人・仲間)が見ていま す。」営団日比谷線「神谷町」駅上の書店にある貼り紙の言葉である。「犯罪」を持ち出し、「愛する人」などという言葉を持ち出してまで訴えているこの切実さが、何とも強くまた、どこか物悲しく感じられた。
●No.12/00.11.24
「痴漢は犯罪
です。」
交通広告で露出されている痴漢撃退ポスターが気になる。なぜなら、いま社会問題化されているのは“痴漢の濡れ衣を着せられている男たち”の方だからである。この正反対の表現もあっていいじゃないか。女性専用列車を設けるなら、男性専用列車があっていいじゃないか。
●No.11/00.11.22
「情勢判断を
誤った。」
加藤幹事長が反旗を翻した際、野中さんが呟いた一言。図らずも結末を予言していた訳だが、この間、私が感じていたのは、新聞は終始、加藤氏の決起を「抗争」としか捉えていなかったということ。19日、政治姿勢から氏にエールを送ったテレビ局とは好対照で悲しかった。
●No.10/00.11.21
「衣服の
部品 。」
19日の日本経済新聞での柳井正氏の発言。全くの私見だが、ユニクロにファッションとしての個性はないと感じていた私を納得させてくれた。部品で全てを揃える層もいるだろうが、この会社への客観的な意見に初めて接した。それが社長であったのも皮肉だが、さすがだ。
●No.9/00.11.20
「タゴールの
詩を暗唱
させる。」
18日の朝日新聞に敬愛する瀬戸内寂聴氏の談話。インドの片田舎の小学校でタゴール(近代インドを代表する詩人)の詩を暗唱させる授業を見た氏は、教育とはこれだと述べる。インドのIT技術だけに驚いているなんてとんでもない。文部省に教育を任せていいわけがない。
●No.8/00.11.18
「お近くの
ドア
から。」
携帯電話使用禁止のアナウンスさえ無視する日本人が、 この言葉に気づくはずもないのだが、他人を押しのけて階段近くのドアから降りようとする人種の無神経さを憂えていた私は、東急田園都市線で聞いた「お近くのドアからお降りください」の言葉に癒されたのである。
●No.7/00.11.17
「リスペクト
する。」
日本語への安易な英語の使用を嫌う私でも、少々戸惑っ ているというのが正直な気持ちだ。このRespectにぴ
ったりの日本語が見つからないのである。尊敬も敬意も ちょっと違うし、多分今までは「崇拝」で表現していた と思うが、悔しいけどそれでもしっくりこないのである。
●No.6/00.11.16
「アジアン
アイドル
。」
昨夜「トゥナイト2」で放映されていた韓国・香港出身アイドルの存在は別 にどうでもいいのだが、気になるのは「アジアン」という発音。英語教育の必要性が叫ばれるこのご時世、日本語読みだけはどうにかしてほしい。「エイジャン」が嫌なら「アジア出身アイドル」にしたら。
●No.5/00.11.15
「想像の 枠を
出ない。」
朝のテレビ番組で某地方局のアナウンサーが言った一言。もちろん正しくは「想像の域を出ない」である。最近、この種の無知から来る言い換えが多すぎる。国語力の低下は何も子供たちだけの話ではないのだ。朝の忙しい時間帯に、この誤りに気づいた日本人が何人いたことか。
●No.4/00.11.14
「感動も
しま
したし。」
最近「感動」が安売されすぎている。これは大相撲中継(12 日)での尾車親方の言い方だが、このように感想を求められ、とりあえず「感動」を口にする機会が多すぎる。「○○○して感動しました」と結びでの使用はまだいいが、「感動」の流行も日本語の貧困を反映している。
●No.3/00.11.13
「今夜は
feel
so
good
。」
日経エンタテインメント!(12月号)で、桑田佳祐氏は「い まのJ-POPって100人いたら90人はやっぱりつまん
ない。詞を書くにしても適当に『今夜はfeel so good』 とか入れて(後略)」と語っている。ステレオタイプな表 現が大半を占める広告への戒めとしても重たい言葉である。
●No.2/00.11.10
「魔が
差した。」
藤村氏による石器発掘の狂言は多方面で波紋を広げているが、私が気になったのはこの言い訳だ。普通 「魔」は
二度差さないし、計画的には行われない。一連の“不祥 事”以来、日本人の「お詫び」における態度は醜さを極めている。そこには、かつて尊ばれた潔さは微塵もない。
●No.1/00.11.9
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