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京浜急行電鉄(株)
【普通電車の旅 Vol.2(新逗子編)】

■〔コピーの一部/巻頭エッセイ〕
道の下のトンネルを抜けると、そこは海だった。
「太陽の季節」新逗子
リゾートトラベル

著名人に愛され続けてきた街


逗子を舞台にした小説「太陽の季節」が、「太陽族」なる鮮烈な青春群像を生み出してから半世紀以上が経つ。しかしここ逗子は、いまなおオレンジ色の光眩しい海のイメージに抱かれている。
逗子海岸に沿って走る国道一三四号(湘南道路)下には、街と浜辺をつなぐ数箇所のトンネルがある。これは、東京五輪が開催された一九六四年に湘南道路(当時は有料道)を開通させた折、元々あった公道・私道をそのまま活かすために作られた。いまは非難口も兼ねる、この四角に切り取られた空間の向こうに見えるのは、「ハーフマイルビーチ」と呼ばれる遠浅で波おだやかな美しい海岸線だ。
三方を山の緑に囲まれた逗子の風光明媚な景観と温暖な気候を愛した政財界人・文化人は数知れず、明治から昭和初期にかけて海岸近くには多くの別荘が建ち並んでいたという。この当時から逗子は、都心に近い高級リゾート地としての風格ある歴史を刻み続けてきたのだ。
石原慎太郎の「太陽の季節」から遡ること約六〇年、逗子を舞台に「不如帰」を著したのは徳富蘆花。さらに国木田独歩や泉鏡花、永井荷風らの作品にも逗子の瑞々しい表情が描かれており、リゾートという目的でこの地に滞在した明治の文豪同士の交流もそこかしこで行われた。トンネルのこちら側、つまり逗子の街並にどこか上品な空気が漂うのも、当時から連綿と積み重ねられた街の伝統というものだろう。逗子で過ごすリゾートトラベルへ、さあ歩きだそう。

■〔上記ページのコピーの一部〕

バスに揺られて特集
葉山|秋谷|佐島へ
美しいリゾートラインの小旅行

逗子と同じくこの地も、明治初期からの“別荘ブーム”により発展し洗練された文化を築いてきた。とりわけ1894年の葉山御用邸の完成が、このエリアを皇族のリゾート地として一層グレード高く昇華させ、さりげなくも気品ある独特の空気を創りだしてきたのである。
バスに揺られて葉山から佐島へ、潮風に吹かれながら上質のリゾートエリアを巡る。それは、小旅行と呼ぶにふさわしいときめきと出会う時間でもある。
朝獲れたての魚介をふんだんに使ったメニューに、洗練されたパティシエの腕が冴える甘味に、ため息が一つでは足りない極上のおいしさと散策の発見を求めて。バスと共に過ごす時間まで楽しみながら。

【普通電車の旅 Vol.3(京急鶴見・鶴見市場編)】

■〔コピーの一部/巻頭エッセイ〕

ポルトガル語やスペイン語が、普通に聞こえる商店街。
「ラテン・タウン」鶴見
魅惑のストリートへ


ラテンと沖縄が出会って生まれた街

ボン・ジア(おはよう)!  コモ・エスタス(お元気?)。こんなポルトガル語やスペイン語の挨拶が交わされる商店街は滅多にあるものではない。
鶴見にそのようなラテンの空気が運ばれて来たのは一九九〇年(平成2年)に施行された「入国管理および難民認定法」(入管法)改正以降だ。日系3世までに 日本定住の扉を開いたこの法律により、かつて南米の大地を夢見て移民を選んだ日本人の子孫達が、今度は日本で成功する夢を抱いて海を渡って来たのである。
しかし、ラテン・タウン鶴見のルーツを知るには、もう一つ別の歴史を語る必要がある。
南米移民の歴史が始まるのと同じ20世紀初頭、発展期の京浜工業地帯の中核を成した鶴見の労働力を支えるために、沖縄から数多くの人々が「内地」を目指し た。いま鶴見を彩るもう一つの個性である“沖縄”の歴史の本格的な始まりである。
鶴見の底流に流れるこの2つの歴史は、“移民県”として知られる沖縄からの南米移民が20万人を数えるという事実で結びつく。つまり、沖縄から渡った数多 くの南米移民の子孫達は鶴見に住む“ウチナーンチュ(沖縄の人)”を頼って日本の鶴見を目指して来たのである。
だからこの街の南米系レストランや沖縄系の飲食店は、殆どが自ら慣れ親しんだ郷土の味、母親の味を源流としている。正にこれこそ“本場の味覚”だ。いざ、 ラテン・タウン鶴見へ。南米のエネルギッシュな香りが満ちた、魅惑のストリートへ。

■〔上記ページのコピーの一部〕

鶴見×南米
京急で行ける地球の裏側


普通電車を京急鶴見で降りて南へ、潮見橋を渡って進む辺りからラテンアメリカの空気が濃くなる気がする。真っ直ぐに伸びた本町通商店街こそ、“ラテン・タ ウン”鶴見のメッカとも言うべきストリートだ。今回は、駅近くのお店も紹介するが、一見して普通の外観なのに、オーナーが南米出身というお店も多い。アマ ゾンが薬草の宝庫といわれるように、野菜やハーブはもちろん、南米で食される肉や魚介を素材に、いずれも活力源になりそうなメニューが並ぶ。さあ、南アメ リカの風に吹かれて。言葉の壁は、気にならない。


普通電車の旅 Vol.4(川崎大師・東門前編)

■〔コピーの一部/巻頭エッセイ〕

温かな人情と、懐かしい街の風情に出会える門前町。
心のホームタウン
川崎大師を巡る

表参道から仲見世へ、 そぞろ歩きも楽しみ。

日本橋を七つ(午前四時頃)に発った江戸っ子たちは、健脚に物を言わせて昼過ぎにはお大師様に到着し、参詣を済ませて日帰りで戻って行ったという。
この江戸の住人たちにはとても敵わないが、川崎大師が交通至便の地であることに変わりはない。「品川」駅から快特に乗車し「京急川崎」駅で大師線に乗り換 え「川崎大師」駅まで約二十分。駅前左手には、もう表参道への入口が見える。その名も「厄除門」。くぐっただけでご利益がありそうな門を過ぎればその先に は、懐かしくも温かい門前町の風景が広がる。久寿餅に開運だるまに、味な名店に。江戸時代からの老舗を含め何十年、何百年もの歳月を重ねてきた店々は、そ の佇まいや売り声はもちろん立ち上る匂いまでがなぜか心にしみわたる。
ほどなく右手に折れる道があり「仲見世」の文字を目にする辺りでは「とんとこ、とんとこ」と軽快な調子で飴を切る「とんとこ飴」の音が耳をとらえ、人情味 ある呼び込みの声と雑踏が織り成す交響楽に心地よく包まれていく。駅前から続く正にこの道筋にあふれる音こそ、一九九六年、当時の環境庁により「残したい 日本の音風景100選」に選ばれた「町音」だ。日本人の琴線に触れ、脳裏にある思い出の景色を甦らせる響きは、間違いなく川崎大師のもう一つの顔と言って 差し支えないであろう。
そして参道の終着点では、威風堂々たる大山門が迎える。温められた心をさらに大きく包み込んでくれる場所がここにある。心のホームタウン・川崎大師。
ふるさとと呼びたい幸せが待つ。

■〔上記ページのコピーの一部〕

開創八百八十年
川崎大師

“お大師様”の名で親しまれる関東の名刹。
御本尊である厄除弘法大師の前で護摩を焚く第45世・藤田隆乗貫首。

荘厳な読経の声に耳を傾けながら、四天王像に守られた大山門をくぐると、勇壮な大伽藍が目に入る。左手にそびえる華麗な五重塔は、真言の様式に則った八角形が美しい。“お大師様”の名で親しまれ、厄除で名高い川崎大師は、今年開創八八〇年を迎えた真言宗寺院。正式には「真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺」という。平安時代に無実の罪で故郷を追われ川崎に住みついた平間兼乗が、夢のお告げで海から引き揚げた弘法大師像を祀ったのを始まりに、高僧尊賢上人が開基したとされる(平間寺の名は平間兼乗の姓)。江戸時代に日帰りできる関東の代表的霊場として尊崇を集めて以来、厄除や家内安全などを願う人々に信仰され、いまも初詣の参拝客は全国トップクラス。7月の風鈴市をはじめ心躍る催しも満載だ。境内に点在する幾多の歴史に彩られた史跡のいくつかをご紹介しよう。


普通電車の旅 Vol.5(京急田浦編)

■〔コピーの一部/巻頭エッセイ〕

風景絵巻。田浦に心うばわれて。
山・海・空のすべてに、うっとりとする街。

四季を通して瑞々しい
見所あふれる街。

「田浦梅の里」の展望台に立てば清らかな大空の下、緑に佇む谷戸(山間部の住戸)から、長浦港のゆるやかな海岸線にかけて、息を飲むような絶景が広がる。 視線を変えれば、遠く東京湾アクアラインや横浜ランドマークタワーまでもが視界のなかだ。早春にはここが、一面の梅花に敷きつめられる。
江戸の世、かの名高き浮世絵師・安藤広重も三浦半島の景観に誘われた旅の途中、ここ田浦まで足を運んだ。広重は「田浦の里農家に休足」(『武相名所旅絵日 記』)などの絵を残しているが、さぞかしつづら折りの草深い山道のどこかで、風光明媚なその眺望に魅せられたに違いない。
時は明治・大正へ移り、田浦の地には旧海軍の様々な部門が設営されて街の発展に欠かせぬ存在となった。当時の独特の意匠を取り入れた建築物の一部は海上自 衛隊などに引き継がれ、長浦港沿岸に連なる重厚感あふれる風景や接岸された護衛艦・掃海艇に面影を残して、思わず足を止める異空間的なアクセントを加えて いる。
春浅き「田浦梅の里」を彩る紅白の梅花はもちろん、旧海軍の歴史が醸し出す湾岸の表情に、あるいは船越南郷公園を染め抜くうっとりとする桜花に、この街は 奥深い風景の魅力を幾重にも湛えながら静かに訪れる人を待つ。
満開の春に始まる四季の見所あふれる田浦の街に、足を踏み入れてみよう。“風景のフルコース”とでも呼びたくなる花と港と通りの風情が、言い知れぬ幸福感であなたを包んでくれるだろう。 シャッターチャンスは、もうすぐそこだ。

■〔上記ページのコピーの一部〕

梅は咲いたか、田浦梅の里
「梅林まつり」に行こう!


江戸時代から白梅を代表してきた「白加賀」、緑白色の花びらとも表される「青軸」、大輪の花を咲かせる「豊後」など、あふれる白梅の気品と、薄ピンクの花 びらも艶やかな紅梅の「養老」とが重なり合って咲き誇る「田浦梅の里(田浦梅林)」の見事な美しさ。その梅の花びらを高みから眺められるのは、この里なら ではの貴重な春景色だ。
「田浦梅林まつり(2月9日〜3月16日)」は、その最も盛りの時期を私たちに知らせてくれる。親子で楽しめるイベントに加わるのもよいし、2月下旬から 3月上旬にかけての日曜日には、出店も並んで華やぎをさらに際立たせる。
日本人の美意識に響く華麗な花絵巻がいま繰り広げられる。
梅の季節が、やって来た。


普通電車の旅 Vol.6(日ノ出町編)

■〔コピーの一部/巻頭エッセイ〕

春さんぽ、
開港ストリート。

花に、歴史に、美味に焦がれて。

日本の夜明けと共に始まり、歩んだ街。

桜咲く春は、新たな旅立ちや門出にふさわしいが、「日ノ出町」駅エリアこそ正に、そんなスタートの季節に似合いの街といえよう。
1859年(安政6年)、長崎・函館両港と共に開港した横浜港を間近に臨むこの界隈は、新たな日本の旅立ちと共にその足跡を重ねてきた。周辺に“日本発祥 ”と刻まれる史跡が残されるのも、明治維新の日本の旺盛なるエネルギーを彷彿させる。「日ノ出町」駅からも、少し歩けば「近代水道発祥の地」「日本ガス事 業発祥の地」の碑があり、野毛町に足を踏み入れればそこは、日本のジャズ文化の聖地。音楽カルチャー の薫り溢れる通りに心奪われる。さらにその向こうは、明治に始まる大繁華街の歴史を刻む「イセザキモール」。ここにも日本初の出来事があり色濃き街の文化 が惹き付けてやまない。
さて、ご覧のゴージャスな絶景は、「日ノ出町」駅のすぐ東を流れる大岡川の桜並木である。「みなとみらい」へ、つまり新たな日本の始まりを告げた横浜港へ と流れ込むこの大岡川は、春、数百本のソメイヨシノにより桜色に河畔が染め抜かれる。花を愛でる興趣深き催しに期待高まる本番はすぐそこだが、旅立ちの季 節が似合うこのエリアには、大岡川のほかにも花を眺める名所が多く、街としての見所は尽きない。
横浜開港に始まる幾多の歴史が、それぞれにかけがえのない街の個性となって現代へと生きる。「日ノ出町」駅界隈の面白みは、何よりもそうした街の力にある。
この春きっと、ここから何かが始まる。

■〔上記ページのコピーの一部〕

野毛が誇るジャズバーには
ジャズを愛する人がいる


日本のジャズが開化した場所「横浜」。その中心にあったのが野毛のジャズバーだ。戦後、米軍施設へ軍人として来た多くのジャズメンの影響が理由といわれて いるが、横浜にジャズが本当に根付き始めた時期は昭和初期に遡る。この頃、ジャズで社交ダンスを楽しむダンスホールが脚光を浴び、市井の人々でもジャズを 聴けるジャズ喫茶が開店した。その後戦争でアメリカ文化の灯が消えかけた時期もあったが、なお連綿と受け継がれてきた横浜のジャズ文化を楽しむには、今、 野毛がホットだ。日本のジャズ喫茶の草分けといわれる「ちぐさ」があったこのエリアでは、今でもジャズの歴史を伝え、ジャズを心から愛する店主たちに逢え る。そんなジャズバーに行きたい。

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